答えは風に吹かれているさ 

cb212007-06-13


これは「メキシコ人の漁師」という有名な話だ。

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メキシコのある小さな漁港に、一艘の舟がつながれていた。
アメリカ人の旅行者が舟の中をのぞき込んで、漁師に話しかけた。
「立派な魚だね。
これを獲るのにどのくらい時間がかかったんだい?」
「いくらもかからなかったさ」
とメキシコ人の漁師は答えた。

「それなら、もっと時間をかけて、たくさん獲ったらどうなんだい?」
アメリカ人。
「これだけで、自分や家族が食べる分には充分なんだ」
「だけど、時間があまっちゃうだろう?
残った時間をどうやって過ごしてるんだい?」
「ゆっくり起きて、日中は釣りをしたり、子供と遊ぶよ。
それから女房とシエスタをするんだ。
夕方になったら、村に行って友だちに会って、一杯やる。
あとはギターを弾いて、歌をうたって楽しむんだ。
毎日が楽しいよ」

「ふう〜ん。それは楽しそうでうらやましいね。
でも僕はハーバードでMBAを取っているから、君の役にたつアドバイスをしてあげられると思うよ」
アメリカ人はうれしそうに話を続ける。

「いいかい、もっと長い時間、漁をしよう。
そして、余計に獲れた分はマーケットで売る。
その分の収入で、もっと大きい船を買って、大きい船でもっと採った魚を売って、もっと船を買って、もっと採って、大船団にするんだ。
そこまでいったら、獲れた魚はマーケットでそのまま売ったりしない。
自分の工場で加工して、輸出するんだ。
最初はメキシコシティからでいいかな。
ロサンゼルスから、ニューヨークに進出していこう。
そうなったらマンハッタンに事務所を持つ君は一流の実業家だ」

「そうなるのに、どれくらい時間がかかるのかね?」
とメキシコ人が尋ねた。
「20年、おそらく25年かな?」
「で、その後はどうするのかね?」

「その後だって?これから面白くなるんだよ」
と答えて、アメリカ人は楽しそうに笑った。
「今度は君の会社の株を売れば、一夜にして億万長者さ」

「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住むんだ。
ゆっくり起きて、日中は釣りをしたり、子供と遊んだりして、女房とシエスタをするんだ。
夕方になったら、村に行って友だちに会って、一杯やる。
あとはギターを弾いて、歌をうたって楽しむんだ。
毎日が楽しいよ」
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最初に読んだとき、けっこう考えさせられた話だ。

どちらがよりよい人生なのか…とか、社会や自然にとって人は…とか、という話をしたいのではない。単に、メキシコの漁師の現在と、アメリカ人MBA氏が勧める行く据えと、結果としておなじ「海岸で楽しい生活」をしていても、風景はずいぶん違うんだろうな、と。そのときの二人の情景がしっかり浮かんでしまっただけなのだ。
二人の姿はもちろん、とりまく人たち、女房も子供達も、友だちも、一杯やる酒の種類も、ギターさえも。一方は「海岸」で他方は「ビーチ」なのだろう。(両者の違いはよくわからないが…)。

で、おまえだったら、どっちがいい?ときかれると困ってしまう。なんだか、どちらも優劣がつけられないような気がするからだ。きっともどちらも楽しい人生なんだろうな、と思う。(しつこいようだが、良し悪しの話ではない)

どちらでもいいと思う。たぶんやってしまった方が、いまいる側がよかったのだ、と思ってしまうのだろう、わたしは。
どうせ、両方は体験できないのだし。みずから望んでそちらの方向に進んでいることはまちがいないのだから。自分自身への評価は、そこまでのあいだ、退屈さもプレッシャーも含めて楽しんでいたかどうかだけなのだ。

で、もし、もしも、生まれ変わって、どちらを選ぶか、と迫られたらどうする?・・・・・。それは、その時に考えることにする。たいていのことには正解なんてないのだ。いつだって、答えは風に吹かれているのさ。